死を受け入れること


明るくて、仕事もできる私の大切なお友達、
昨日は、その彼女のご主人の3回忌でした。

彼女にとって、この2年間はまるで長い迷路を、手さぐりで歩くような日々だったと思いますが、まるで昨日のことのように、2年前のこの日を思い出していたのでしょう。

私も土砂降りの中、ダンナと病院に駆けつけて、
ご主人にお別れをし、号泣している彼女を家まで送り届けた日から、
もう、2年が経ったとは思えません。

彼女から「この本を読んでみて」
と、昨日渡されたのが、鈴木秀子著の『死にゆくものからの言葉』でした。

子供がいない彼女の中で、ご主人の存在はあれから一層大きくなり、
彼からの何らかのメッセージを探すのが、彼女の生きる目的のひとつになりました。

エリザベス・キューブラ・ロスの『死ぬ瞬間』やその他の著書、
橘隆の『臨死体験』など、死や死後の世界、
生と死について、本当に多くのことを理解しようとしています。

一方で、私ががん患者の友人のお子さんの世話をしていることに、
「私が代わってあげたい。私にはもう愛する人がいないから早く死にたいのに、大事な家族のいる人が病気なんてなっちゃいけない」
と、胸が押しつぶされそうになるようなことを言います。

私も、人間が魂の存在であることや、どんな学びをするかは、あらかじめ計画してこの世に生まれてきているから、これも計画の一部なのだと思うよ、と、ことあるごとに伝えています。

でも、「あんなに私のことを大事にしてくれた人が、私にこんなに辛い思いをさせることを計画していたなんて思えるはずがないし、ましてや私はそんな馬鹿げた計画はしてない」と、言われて、
いつか、もう少し時が経てば、ちゃんと話ができるだろうか・・・
と、自分の無力さを哀しく思います。

私がブルース・モーエンの『死後探索シリーズ』に出会って
変性意識状態で、リトリーバル(魂の救済)を行なうようになったのも、
亡くなった方たちのその後を知ることに、切羽詰まっていたからだと思います。

彼女のご主人に対する強い想いがひとつのきっかけですが、
私がご主人のリトリーバルを行なっても、彼女がそれを納得してくれなければ
やはり、彼女の心は救われないのです。

昨日の三回忌に集まった友人たちは、久しぶりの再会を喜び
故人の思い出を話し、近況報告もし合い、笑って楽しいひと時を過ごしました。
当事者以外の者には、死は過去の出来事になりつつあります。

もう二度と笑うことなんてないのだろうか、と思えた彼女も
今では、日常の生活を取り戻しました・・・少なくとも表面上は。

でも、彼女にとってご主人の死はまだ生々しく
毎日の生活に、彼の不在をうったえ続けています。

『愛する人たちのみ死がある』という言葉は、
愛した人を失うことのみによって、本当の死を体験することなのだ、と
つくづく思いました。

私が彼女にできること・・・
それを見つけていくことが、2年前からの変わらない課題で
ちょっとやるせないのです。
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by dewdrop3 | 2010-08-23 08:40 | 日々雑感

シドニーでボディ・マインド・スピリットのバランスのとれた、さとう式的ゆるキラ・ライフ♪


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