ただいまっ♪


シドニーでボディ・マインド・スピリットのバランスのとれたライフスタイルを
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犬の散歩


今まで一番楽しかった友達づきあいは、
日本でママさんバレーをしていた時だわ、と友人が言いました。

同じチームのメンバーでも、バレー中心のお付き合いだから
プライベートなことは、かなり仲良くなるまで話題にせず、
すごく自然で自由にお付き合いができて楽しかった、とのことでした。

あらー、日本だと、何かにつけていろいろ立ち入ったことを聞かれるのかと思っていたから、それは意外でした。

例えば、お子さんは何人いらっしゃるの?
まあ、どちらの学校?
ご主人は何をされてる方?
失礼だけれど、おいくつ?

なんていうことが、まず話題になるのかと思っていたら、
バレーではそうでなかったのだそうです・・・。

そう言われて思い出したのが、『犬の散歩』のつきあいです。
道や公園で出会った時、お互いの犬の名前は紹介しあうけど
本人同士は、二の次、三の次、犬の次です。

だから、同じ時間帯に公園で顔を合わせても、
特に自己紹介はせずに、仲良くおしゃべりして
個人的なお話をすることは、まずありません。

それが、暗黙の了解というか、ルールのような気がするのです。
他民族国家のオーストラリアならでは、と思いきや
日本でも犬の散歩仲間には、所属やタイトルや思想を超えた心地よい付き合いがあるらしいです。

私と毎日2週間近くも、同じ時間に公園で会う若い女性がいました。
やんちゃなジャスパーと、彼女のかわいいボーダーコリーが
ふざけ合う姿を笑いながら眺めて、おしゃべりしていましたが、
しばらくして親しくなってから、初めて子供や仕事のことを話したら、
なんとリコと同じ学校の卒業生で、母校や近辺の学校で、
クラリネットを教えていることがわかりました。

それなら、リコのバンドメンバーのクラリネット奏者も
きっと教え子だね、なんて言ったけれど、それ以上つっこんだ話はしませんでした。
もし、最初から子供関連の先生だと知っていたら
はじめから打ち解けていられたかどうかは、疑問です。

子供つながりでもなく、仕事関係でもなく、向こう三軒両隣でもなく、
犬好きのオーナーたちが、のんびり日なたで犬を遊ばせるっていう雰囲気が、本当に自由で、何の垣根もなく過ごせるのがいいなあ、と思うのです。
犬のオーナーでも、無責任で嫌な人はいます。

人はいろいろな役割があり、いろんな顔を持っているけれど、
そのどれもがその人の一部であり、
犬好きの部分で気が合うのならそれでいいじゃない、と思います。

ソデをほんの少し振り合うだけのお付き合いかもしれないけれど、
そんなボーダーレスな付き合いに、私は少しわくわくしています。
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by dewdrop3 | 2010-08-29 21:12 | 日々雑感 | Comments(3)

『ひきこもり』のリトリーバル


先日、友人から相談を受けました。
日本のめいごさんが2年間、16歳の時から引きこもり状態で、
誰も彼女とうまくコミュニケーションが取れなくて、
どうしていいのか、誰もわからないのだそうです。

「『リトリーバル』で、姪が何を考えているのか
見て来ることってできますか?」と、聞かれました。

引きこもりの方の意識に飛び、リトリーバルを行なう・・・
こういう話題になったのは初めてだったので
今まで、考えてみたこともありませんでした。

でも、友人の幼少期、インナーチャイルドのリトリーバルは、
トライしてみたらできたので、
これもやってみたらできるかもしれない・・・。

そんな話が出た翌日、まったく別のお友達から
「この本を読んでみて」と渡されたのが
引きこもりの主人公が出てくるストーリー、
白鳥哲さん原作の『ストーンエイジ』でした。

うわっ、これはもうサイン以外の何ものでもないわ。
『引きこもり』は、日本では本当に大きな問題になっています。
引きこもりの高齢化や、メンタルヘルスへの取り組み方、
様々な問題が浮かび上がってきます。

まずは現状把握や、とっかかりをつかもう
というわけで、今、『ストーンエイジ』を読んでいます。

そして読み終わったら、友人のめいごさんのリトリーバルにも挑戦したいと思います。

『宮ぷー 心の架け橋ぷろじぇくと』の英語版の準備といい、
『引きこもり』の課題といい、次から次へといろいろなチャレンジがやってきます。

だから、これからは上手に『時間』をやりくりするんだよ、
っていうことで、先日は『時間の概念』を手厳しく教えられたのかな・・・

それにしても、ずいぶん買いかぶられたものです、
喜ぶべきことなのでしょうけど・・・。
課題は山済み、読む本も、観るDVDも山済み状態で、
おっちょこちょいの私が、乗せられて始めてしまうところが
もう目に見えるようです。

そして、そのイメージは間違いなく現実のものとなりますね。
どうして・・・? それが実現化のルールだから。

宝くじに当たって、南の楽園で優雅に暮らしているイメージ、
そうなって欲しい自分もいるはずなのに、どうしてそれが思い描けないの・・・
それが問題だ。
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by dewdrop3 | 2010-08-25 19:47 | 日々雑感 | Comments(0)

『宮ぷー 心の架け橋ぷろじぇくと』 英語版


私のブログでも何度も紹介しているかっこちゃん
かっこちゃんは、特別支援学校の先生で、作家でもあります。
その彼女の大切なお友達の宮ぷーさんは、脳幹出血で倒れ、
最初は四肢のどこも、眼球すら、動かすことができず、明日をも知れない状態でした。

でも、かっこちゃんはあきらめず、厳しいリハビリの結果、
今では宮ぷーは、指が動くようになり、気持ちを伝えられるようになりました。

それは、かっこちゃんが職業柄、『意思伝達装置』というものがあることを知っていたからです。
『意思伝達装置』というのは、体の一部が動けば、そこでスイッチを押すことで、「あかさたな……」と順に読み上げる装置とつながれ、思いを文章化できる装置のことです。

9ヶ月ぶりに気持ちを伝えられるようになった宮ぷーは、
「僕の思いをたくさんの人に知ってほしい。それは僕の生きる証だから」と言いました。
かっこちゃんの書く日記や、宮ぷーの思いを多くの人に読んでもらいたいと言うのです。

かっこちゃんの夢は、世界中の人が自分の思いを伝えられるようになること。
意思伝達装置のこともみんなが当たり前に知っているようになること。

かっこちゃんのメルマガを読んでいる私の友人は、
「私たちの住むオーストラリアにも、宮ぷーのように気持ちを伝えたい人はたくさんいるのだから、これは絶対に英語でも伝えたいよね」と、私に言いました。

身体が不自由な若者が、四肢や言語の自由が利かないという理由だけで、
高齢者用の介護施設に入れられ、身体のケアはされているけれど、
『人が生きる証』である気持ちを伝えることや、何かをしたいという欲求が
オーストラリアでも満たされていないことに、心を痛めていたので、
「それは絶対にやりたい!」と、私もすぐに賛同したのです。

本当にお友達も私も、いいと思えば深く考えずに「やろうやろう!」という
おっちょこちょいの面が、また露呈してしまいました(笑)。
でも、実際に行なうとなると、働く母親にはやっぱり毎日の翻訳は大変・・・、

どうにか、手分けして、週に一度、2週間に一度というペースで
長く続くように協力者を集おう!ということになり、
かっこちゃんにもメルマガを通して、協力をお願いしました。

どなたか、2週に一度、月に一度くらいならできるよ、
という方は、是非ご連絡ください。
別に英語のテストじゃないので、翻訳が完璧である必要はありません。
私だってそんなことできませんから。

また、翻訳はできないけど、『意思伝達装置』のことは広めたい、という方、
『意思伝達装置』のひとつであり、宮ぷーが使用しているパナソニックの『レッツチャット』の製造存続のための署名をしてもいいよ、という方は、かっこちゃんのブログから、署名に協力していただけると
とっても嬉しいです。
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by dewdrop3 | 2010-08-24 00:00 | かっこちゃん | Comments(3)

死を受け入れること


明るくて、仕事もできる私の大切なお友達、
昨日は、その彼女のご主人の3回忌でした。

彼女にとって、この2年間はまるで長い迷路を、手さぐりで歩くような日々だったと思いますが、まるで昨日のことのように、2年前のこの日を思い出していたのでしょう。

私も土砂降りの中、ダンナと病院に駆けつけて、
ご主人にお別れをし、号泣している彼女を家まで送り届けた日から、
もう、2年が経ったとは思えません。

彼女から「この本を読んでみて」
と、昨日渡されたのが、鈴木秀子著の『死にゆくものからの言葉』でした。

子供がいない彼女の中で、ご主人の存在はあれから一層大きくなり、
彼からの何らかのメッセージを探すのが、彼女の生きる目的のひとつになりました。

エリザベス・キューブラ・ロスの『死ぬ瞬間』やその他の著書、
橘隆の『臨死体験』など、死や死後の世界、
生と死について、本当に多くのことを理解しようとしています。

一方で、私ががん患者の友人のお子さんの世話をしていることに、
「私が代わってあげたい。私にはもう愛する人がいないから早く死にたいのに、大事な家族のいる人が病気なんてなっちゃいけない」
と、胸が押しつぶされそうになるようなことを言います。

私も、人間が魂の存在であることや、どんな学びをするかは、あらかじめ計画してこの世に生まれてきているから、これも計画の一部なのだと思うよ、と、ことあるごとに伝えています。

でも、「あんなに私のことを大事にしてくれた人が、私にこんなに辛い思いをさせることを計画していたなんて思えるはずがないし、ましてや私はそんな馬鹿げた計画はしてない」と、言われて、
いつか、もう少し時が経てば、ちゃんと話ができるだろうか・・・
と、自分の無力さを哀しく思います。

私がブルース・モーエンの『死後探索シリーズ』に出会って
変性意識状態で、リトリーバル(魂の救済)を行なうようになったのも、
亡くなった方たちのその後を知ることに、切羽詰まっていたからだと思います。

彼女のご主人に対する強い想いがひとつのきっかけですが、
私がご主人のリトリーバルを行なっても、彼女がそれを納得してくれなければ
やはり、彼女の心は救われないのです。

昨日の三回忌に集まった友人たちは、久しぶりの再会を喜び
故人の思い出を話し、近況報告もし合い、笑って楽しいひと時を過ごしました。
当事者以外の者には、死は過去の出来事になりつつあります。

もう二度と笑うことなんてないのだろうか、と思えた彼女も
今では、日常の生活を取り戻しました・・・少なくとも表面上は。

でも、彼女にとってご主人の死はまだ生々しく
毎日の生活に、彼の不在をうったえ続けています。

『愛する人たちのみ死がある』という言葉は、
愛した人を失うことのみによって、本当の死を体験することなのだ、と
つくづく思いました。

私が彼女にできること・・・
それを見つけていくことが、2年前からの変わらない課題で
ちょっとやるせないのです。
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by dewdrop3 | 2010-08-23 08:40 | 日々雑感 | Comments(6)

時間の概念


昨日は、車の接触事故で、ものすごく動揺したものの、
自分のどこにその事故を招く要因があったのか、
どんなメッセージが含まれているのか、
それをどうしても知りたくて、夕べは寝る前に瞑想をしました。

その答えがわかるまで、久々にしっかり向き合うつもりでした。

そして・・・、きた、きた・・・お久しぶりでございます。

そうです、私はたるんでいました。
いえ、一生懸命しているつもりでも、人間の本質が魂であること、
私の本質を磨くことが、近頃おろそかになっていたのですね。

決して怠けていたわけではなく、現実に流されてしまい、
友人や義母のお世話をするという大義名分の上に、胡坐をかいていたのかもしれません。
しかし、手厳しくやってきましたね。
こうして、嫌でも自分の内面と向き合わされる状況になるとは・・・。


接触事故のその瞬間、
時間的にはほんのゼロ・コンマの世界だったはずなのに、
私は、相手のドライバーの表情がみるみる変わるのも、
すべての情景がストップモーションのように、停止したかのように、
ゆ~っくりと流れる時間を、しっかりとこの眼で目撃しました。

もちろん、実際にはほんの1秒以内のことで、
ブレーキを踏む余裕すらありませんでした・・・。

なんという、『時間の不思議』でしょう。
私には、それが永遠にも感じられるほど、時が止まったようでした。
ガンッという衝撃音がするまでは・・・。

おっしゃりたいことはわかりました。

せっかく『タイムトラベル・時をかける少々』を体験しておきながら、
現実の世界にどっぷりつかって、「ああ、忙しい、忙しい」とばかり・・・
変性意識状態での時間の使い方を、ちっとも活かしていませんでした。

スピリチュアルな世界に目覚めると、社会人として、家庭人としての現実の自分がおろそかになりかねないけれど、
逆に、私は『今ここだけの自分』の比重が、近頃重くなり過ぎました。

せっかく見つけた『時をかける少々』の世界、
ゼロ・コンマ時間の両面を、事故は私に生々しく体験させてくれました。
時間って、両刃の剣というか、使い方次第ということを
私は知るべきだったのですね。

あの瞬間は、永遠のようであり、
身体も動かせないほどの一瞬でもあった・・・。

これ以上、私に『時間という概念』を考えさせる出来事があるでしょうか。

手痛いレッスンではあったけれど、
どうして、私に昨日の事故が起こったのか、今ではとてもよく理解できます。

今ここにいる私と、時間を越えて存在する私、
私は、そのどちらもしっかりバランスを取って生きなくてはいけないのです。

1日24時間という額面どおりの時を、そのまま受け取れば多忙でも、
でも、時間の概念のない世界を垣間見せてもらったのに・・・、
過去や未来の時間を、自在に移動するような体験をしながら、
それを活用できていないのは、教える方にしてみれば嘆かわしいことでしょう。

ダメダメ生徒でしたね、私・・・。

先週の土曜日、友人から「いらないから見ない?」と渡されたDVDが、
なんと中国語の、「時をかける少女」?

ああ~、ここでもヒントをいただいていたのに、
本当に気がつかなくてごめんなさい!
これから私、時間を上手につかえるように、もっと励みます。
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by dewdrop3 | 2010-08-19 22:02 | 不思議な話 | Comments(2)

『地に足をつけよ』、という声


今日は生まれて初めて、車を運転中に事故を起こしました。

今まで物にかすったりしたことはあったけど、
相手が車を運転している人であったことは、初めての経験です。

もう、目を閉じるとスローモーションのように、そのシーンが浮かんでくるのですが、何故、事故を起こしたのか、どうしてもわからなかったのです。

私は小さなLane(路地)から、大きな道に右折して入る所でした。
そこは、歩行者も横切るので、一旦停止のストップサインもあり、そこでは必ず止まります。

そして、右を見て、左を見て、歩行者もなく車も来なかったので、
右折し始めたら、目の前、道路の真ん中を赤い車がのろーりと横切って、
右折途中の私のバンパーの左前がその車の後部にぶつかってしまったのでした。
でも、右を確認したのに、その事が、どうしても不可解。

「え~、そんな~、あなた、どこから出てきたの??!!
と、驚きながらも、場面はもうスローモーションでした。
慌ててブレーキを踏もうとしても間に合わず、
ぶつかり合う衝撃を感じました。

スピードはどちらも出ていなかったので、
お互いに怪我がなかったのが幸いでした。

でも、しっかり一旦停止して、左右を確認したのに、何故~?
右を見て、左を見て、さらにもう一度右を見なくちゃいけなかったんだ。

自分に非があると思うから、すぐに謝って、
動転しながらも、ダンナに電話をして、
指示通りに、お互いの連絡先や必要事項をメモしました。

今考えると、彼は駐車していて、車を発進させたのではないでしょうか。
それなら彼が道路の真ん中を走っているのが理解できるし、
私が右を確認した時、車は一台も走ってきていなかった説明がつくけど。

もしかして、彼も駐車から発進する時、後方しか見ていなくて、
彼の前で車が右折しようとしていたことには、気がつかなかったのでは・・・
とは、勝手な推測・・・。

でも、どこから出てきても、彼はすでに通りにいる直進車と見なされ、
右折する私に、法的に非があるのだから、今となっては仕方ないのですが。
後は、もう保険会社に任せます。

初めての事故が、この程度で済んだことに感謝するべきですね。
本当に、お互いが無傷でよかった!
リコや、お友達のお子さんや、ジャスパーが乗っていなくてよかった!
相手の男性が、怖い人でなくてよかった!

私の弟は、大学時代の初の接触事故で、相手が『その筋』の人でした。
停止しているこちらの車の前に割り込もうとして、勝手にあてたので
非は向こう側にあったけれど、なにせ、いかにも「やの字」の車に、
後部座席には、『姐さん』が乗車していました。

相手の運転手がにらみを利かし、「兄ちゃん、車何ともなってないで、見てみぃ」
と、何事もなかったことにしようとしたから、
弟が「警察を呼びましょうか」と言ったけど、声がかなりうわずっていたような・・・。
私も同乗していて、すごく怖かったのを思い出します。

そんな相手ではなくて、親切そうなインド人の若者でした。
事故現場のすぐ近くのユニットに住んでいるので、
車をそのまま路駐して、別れました。

もう、起こってしまったことは仕方ないけれど、
本当にショックで、心臓がバクバクでした。

ダンナも早く帰って来てくれて、相手の車のかすった部分を写真で撮ってくれました。
あ~、携帯で写真を撮ることも思いつかなかった自分が情けない。
何しろ、初めての事故なので、かなり動転していたのです。
事実関係も、しっかり確認できなかったし・・・。

本当に地に足を付けて、しっかりしないといけない。
これは、『もっとグラウンディングしなさいよ』
という警告のように思えて仕方ありません。

今日はしっかり自分と向き合う瞑想をします。
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by dewdrop3 | 2010-08-18 19:26 | 日々雑感 | Comments(3)

いつでも、どこでも、誰からも


学びや成長のきっかけは、本当にいたるところにある、とつくづく感じます。

私の周りには、そういう意識の高い人達が多いこともあるけれど、
学ぼうという気持ちや、何かを変えようという気持ちがあれば、
その意思の力がどんどん道を開き、導いてくれるのだ、ということが実感できます。

たとえ、物理的に自分ではできないことや、経験しなかったことでも
実際に体験した方の話の聞くだけでも、その人の何分の一かの学びを得られるなんて、本当にラッキーなことだと思いませんか?

ここ数ヶ月は忙しくて、思うように自分の時間がないのですが、
本を読んだり、ワークショップやセミナーに出かける時間がなくても
友達に会ったり、電話やメールでやりとりしたりする、そんな中から
とてもたくさんの『気づき』が得られることを、最近実感できます。

旅先で、リトリーバルをした話を聞いただけで、
その場の情景が本当に手に取るように視える・・・

人の日常の話の中からでも、大切なことが浮かび上がってくる・・・
「そう、それが大事」と思えるようなキーワードが心に浮かんでくる・・・。

それは、ニュースなどから知る事実関係や知識とは違って、
人の感情や感覚を通して伝えられているので、
そのどこに自分が反応しているか、をつきつめるともっと面白いのです。

この部分にこれだけ私が反応するっていうことは、いったいどんな意味?
何が自分のどこにクリックしたのだろう・・・って
自分の側面を見つけることは、宝探しのようでもあり、
パンドラの箱を開けるようでもあり・・・

でも、昔なら何気なくやり過ごしていた小さなことでも、
どれも意味のあることに思えるのは、本当に嬉しいのです。

学生の時は、そんなに一生懸命勉強していなかったけれど、
今は学ぶことの楽しさを十分にかみしめています。

先週もいつもと同じような日常のようでいて、
たくさんの気付きがありました。

ジャズダンスのレッスンに行ってみたり、
無事故無違反の私が、パーキングで車をこすってしまったり、
大好きなお友達に会っておしゃべりしたり、
ダンナの誕生日があり、リコのバンド・コンペがあり、
お義母さんが我が家に引っ越して来たり・・・

学ぼうという気持ちさえあれば、
本当に『いつでも、どこでも、誰からも』、たくさん教えられますね。

ちなみに、嫁・姑バトルは、まだ?勃発していません。
爆発する前に、鎮火させることができるか・・・
火の気が出た時が、私の学びが生かされるかどうかが試されます、
楽しみなような、怖いような・・・

今週も皆さんにとって、よい週でありますように♪
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by dewdrop3 | 2010-08-16 05:02 | 日々雑感 | Comments(3)

サプリって・・・


最近は、代替医療についてだけでなく、健康食品やサプリメントについてもよく考えます。

確かによさそうなサプリは市場に出回っています。
創立者の『みんなを健康にしたい』という強い意志は理解できるものの、
ひとつ私には納得できないことがあるのです。

それは、近頃は、野菜や果物をたくさん摂取しても、
土地が肥えていた昔のような栄養価がなく、
それを補うためにサプリが必要だという、セールストークです。

確かに言っていることはわかります。
土地が痩せていることも、事実かもしれません。

それなら、荒れた土地に育つ野菜は駄目で、肥料たっぷりの土地やコンディションを整えられた場所で育つ野菜ならいいのでしょうか。
もちろん、身体に害のある農薬を使っている食材が悪いのはわかりますが、
そうでない場合、痩せた土地に育つ野菜は、そんなに駄目ですか?

『栄養価』と言う時、それは一般にビタミンやミネラルの含有量をいうのだと思いますが、それが『生命力』と同義語だとは、私には思えないのです。

例えば、最近飲み始めたスギナ茶のスギナは、どんな痩せた土地にでも生えてくる雑草みたいなものです。
でも、その生命力を見て、先人はこの植物なら人間にも活力を与えてくれそうだ、と直感し、摂りはじめたのではないでしょうか。

「昔の大根はよかったけれど、今の大根はだめだねえ」なんて、
大根に優劣をつけるのは、「昔の人間は良かったけれど、今の人間はだめだねえ」と、言われているのと同じに私には聞こえます。

それは、駄目な人間もいるけれど、いい人間もいるのだから
一概に今は駄目、とは決め付けられないし、大根に向かって「あなたは栄養価値の低い駄目な大根ね」なんて、私にはとても言えません。

特に映画『WATER』を観てからは、たとえ相手が野菜や果物であっても
おとしめるような言い方や想いは、できなくなりました。

本当に痩せた土地に育った野菜や果物は、駄目なのか・・・
数字が示す栄養値が、そんなに大切?
化学記号は同じでも、水の作用が違う例もありました。

私には、数値は低くても、その大切なビタミンやミネラルの波動を実際の野菜や果物から取り入れることで、『生命力』をいただくこと、生きた栄養を摂り入れることが、錠剤の数値の高い栄養よりも価値があるように思えてならないのです。

その波動を、その生命力をいただくという意味で、食べ物に感謝をし、
血肉となり、身体を浄化してくれてありがとう・・・
そんな気持ちで、『いただきます』と手を合わせます。

ヨギが何日も食べなくても、瞑想状態で栄養失調にならないのは、
食べることからではなく、生命力の情報・波動を、
瞑想で上とつながることによりアカシックレコードから摂り入れるからではないでしょうか。

もちろん、私がそんな瞑想の達人に簡単になれるとは思わないけれど、
少なくとも何かに気づいている気はするのです。

今、気になるサプリもあるのですが、
私たちに必要なものは、すべて自然の中に創っていただいていると信じます。
たとえ、サプリほどの高い栄養素の数値でなくても、
『生命』をいただく・・・『生命の力』をいただく・・・
それが大切な気がするのです。

それで、スギナ茶を喜んで飲んでいる私です。
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by dewdrop3 | 2010-08-09 20:57 | 健康・美容の話 | Comments(3)

子離れ予備軍


昨日は、母の誕生日で実家に『おめでとうスカイプ』をしました。
母はもちろん、弟や弟のお嫁さんとも長々とおしゃべり。
大学2年生の姪っ子は、バイトで留守でしたが、
ひょんな話から、一緒にいたリコが
「私は大学生になったら、家を出るつもり」と、弟に言っています。

隣にいる私が思わず振り向き、「え、そうなの?」と聞き返す。
「そうよ、だってママだって『大学生になったら追い出すよ』って言ったじゃない。リコは友達とシェアして住みたい」とのこと。

そうなんだ、確かに大学生になったら家を出たほうがいいかも、と言ったことはあるけれど、子供側から宣言されたのは初めてで、ちょっとショックだった私。

と、いうことは、家にいるのはあと4、5年っていうこと?
まあ、なんと・・・、そんなのあっという間に過ぎてしまうよ。
この前まで甘えん坊の小学生だったのに、ティーネージャーになって、ハイスクール(中高一貫)の2年目には、もうこんなこと言われるなんて・・・。

その後、ずっとこのことが頭の中をぐるぐるよぎっていました。
確かに一人っ子だから、独立心を養うように育ててきたし、いつ親は亡くなるかわからないから、友達や社会とうまくやっていけないと困るけど、あと4年・・・と思うと、急に淋しく、心の中を『ひゅるるる~』と北風が…。

でも、自分の学生時代を振り返ってみると、
親元を離れて地元以外の大学に通う友達が、急に大人びたようでうらやましかったな。

リコもシェアでもして濃い人間関係を学んだり、生活の知恵を身につけたり、いろいろな経験や失敗をするのも早いほうがいいかもしれない。
シェアといっても一人でやりくりしてみれば、親のありがたみだってわかるでしょう。

そうだ、今から凹むのはやめよう、どうせいつかは巣立っていく子なんだ。
この4年で娘と一緒にできることは、思い切りしておこう!
そして、それからは、自分の好きなことが本当にできる時間だと思おう!
気のあった友達といつでも出かけられる、スクールホリデーのハイシーズンでなくても旅行ができるんだ!
楽しいこともたくさん待っているじゃないか!

そこで、すくっと立ち直る私。
明るい日差しがパーッと差し込み・・・

「あのね、リコちゃん。ひとだび家を出たら、「また一緒に住みた~い」と戻って来ても、その時は下宿人として扱うから。それ以降はちゃーんと家に食費くらいは入れてね」
と、きっぱり言い渡し、彼女の独立宣言をぐらつかせる一言も忘れませんでした。
そこまでの覚悟があるのなら、ママは笑って見送ってあげるよ・・・ふふふ
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by dewdrop3 | 2010-08-08 12:07 | 家族の話 | Comments(6)

嵐の前の静けさ・・・


今の私、心の中で葛藤してます・・・。

とうとう義母が、我が家に住むことになりました。
キャンベラの弟が、イギリスに政府間研修に行くことに決まったのです。
と、言っても最長で18ヶ月くらい・・・。

でも、今まで義母の2週間の滞在でも根をあげていたのに、
それが18ヶ月なんて、耐えられるかどうか・・・

つわりだらけの妊娠期間を、2回連続で味わうようなものだ。
ひえ~。

そして、いい格好しーのダンナに、怒り心頭の私。
どうやら、「いいよ、家に来れば・・・好きなだけ居ていいよ」って言ったらしい。
ちょっと、お世話をするのは私なんだけど!!!

でも・・・
私だって鬼じゃないから、
二世帯住宅を買って義母の面倒をみている弟家族がイギリスに行っている間くらい、しっかりお世話しましょう・・・と思うこともある。
(天使の私・・・この件では悪魔に押されて、めっきり出番が少ない)

多分、弟家族と同居している日本の母と比べてしまうのがいけないのでしょう。

私の母は、義母より7つも年上なのに、まだ書道を教えている。
自分の生活や趣味を大切にして、弟家族の領域には入らない。
夕食も、働いているお嫁さんのために下準備をしておく。

いっぽう、義母は、ず~と一日中テレビを観ている。
そして公共機関では外出しないから、私が車で送り迎えをすることになる。
食事はもちろん上げ膳据え膳。
私やダンナの友人が来ると、一緒になってお茶を飲み、後から彼らの噂話をする。
よって、義母の居る時は人は呼べない。

そして、昼間自宅で仕事をしている私としては、
自分の家なのに落ちつかないったら・・・
大きな音でテレビはつけっぱなし、そしてテレビに向かって話しかけているから、気が散る散る。

頼むから散歩や買い物にでも出かけてくれ~。
親戚にでも会いに行ってくれ~。
ローン・ボウリングでも、マージャンでも自分の友達を作ってくれ~。

私が爆発したら、嫁姑バトルが勃発しちゃうのに・・・。

わかっています。
子供だって、他の子と比較されちゃあ、個性も伸びません。
姑も比べちゃいけませんよね。
今さら性格だって変わらないだろうし・・・。

でも、いったい私に心の平和は訪れるのか・・・。
これが、新たなチャレンジとして与えられたものなのならば、
もう、受けて立つしかあるまい。

そして、いったいどんな学びがあるのか、
今は、嵐の前の静けさ・・・。
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by dewdrop3 | 2010-08-06 08:45 | 家族の話 | Comments(3)