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『兄眠る地ビルマを訪ねて』


年末に友達のお母様が亡くなりました。
最期の方は、意識が混濁し、「あぶない!鉄砲だ!」とか
戦時中のようなことを、うわ言で言う時があったそうでした。

そして、それにはわけがありました。
葬儀を終えて戻った友人から、
一冊の小冊子を見せてもらいました。

それは、友人のお母様が自費出版された歌集でした。
『兄眠る地ビルマを訪ねて』という歌集は、
友人は一度も会ったことがないけれど、彼女の叔父にあたる、
お母様のお兄様が、戦争中にビルマで行方不明となり、
戦死したと認定され、50年経ってかの地を訪れたお母様が
詠んだ歌をまとめた、旅日記歌集のようなものでした。

お兄様は、戦火に紛れ遺品すら見つかりませんでした。
ちゃんとしたお葬式もあげられず、生死がわからないまま、
あきらめるでもなく、待ちわびるでもなく、
遺族にとっては、いたずらに中途半端な、辛い想いをされたことと思われます。

友人のお母様は、お兄さんの50回忌にあたる年に、
けじめをつけようと、「妹たちのかがり火の会」のメンバーとともに
慰霊の旅にビルマに向かいました。

お兄様は、東大経済学部を卒業後、三井物産ラングーン支店に駐在中に、
昭和20年の3月、現地にて応召されたのでした。
まだ30歳で独身の、写真ではとてもハンサムな方でした。
本当に自慢のお兄様だったことでしょう。

祖国を離れた駐在員が、現地の生活に溶け込もうと努力してきたのに、
その地を戦場とし、軍人として召集されるとは、
お兄様もどのような想いだったのでしょう。

そして、彼はその年の7月13日にビルマのペグー地方で行方不明となり、
戦死と認定されました。

小学生の時、『ビルマの竪琴』という本を読みました。
私ですら、水島兵のように、その叔父様が僧侶となってどこかで生きて、
竪琴でも弾いていてくれれば・・・
と、思ったほどですから、妹さんが兄の生存をいかに願っていたかは、
想像するだにあまりあります。

そんな歌集を読ませていただいて、
私も本当にビルマ(ミャンマー)を旅したかのごとく感じました。

戦争は、いつの時代も悲劇でしかあり得ません。
戦って死に逝くものは、
誰かの父であり、夫であり、息子であり、兄であり、弟であり、孫なのです。
血の通ったかけがえのない人なのです。

それなのに、今も世界のどこかで戦争は続いています。
私たちは、過去の過ちから、もういい加減学んでもいいはずです。
平和への願いは、ひとりひとりの意識が変わることがまず第一歩、
決して他人ごとではないのです。
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by dewdrop3 | 2010-02-18 20:56 | 日々雑感 | Comments(0)
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